写真

 中平卓馬の写真を見ると、写っているものまでの距離や遠近感があまり感じられない。そして自分もその場に居るような気がしてくる。普段見慣れた光景に似ているというのもあると思う。触知的な記憶が蘇る。細部を全体の一部としてでなく、そのものとして見る。2度見じゃないけど、もう一度見たくなる魅力がある。

見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977

見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977


 写真はそれ自体独立した一つの宇宙を構成し、映像としての論理をもって自立運動を開始する、ということを強調したい。それは「事実」とか「現場」とか「対象」から自由な論理であり、時にまた、既に表現され提出され<外化>されたという意味でカメラマンからさえ自由な論理なのである。1965
 「見る」ことがすでに築き上げられたコードに縛りつけられ、「見る」ことが、「見ない」ことと同じになっている時、われわれはカメラという非人称的な機械を介して、この世界と渡り合う。そこには写真を撮る瞬間、自分自身知らなかった異貌の世界がフィルムに刻印される。その驚き。意識と無意識の境界地帯。そこにコードを突き破り、コードを爆破する小さなきっかけを見いだすこと、それが写真家に望みうるたったひとつのことである。1977

原点復帰-横浜

原点復帰-横浜

中平卓馬 Documentary

中平卓馬 Documentary

都市 風景 図鑑

都市 風景 図鑑

小さい頃

久しぶりの更新です。自分の小さい頃がどんなだったか、写真なんかで知ってるつもりでしたが、息子ができてみると重ね合わせて見るようになって、小さい頃の時のリアリティが今ごろになって、湧いてきています。
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これは私のズボンを息子がはいているのですが、写真でしか見たこと無かった小さい自分が目の前で動いてるように思えて、自分もこんなだったかなーというか、単純にかわいいなと思います。
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これは私と父ですが、記憶に無いので証拠?という感じが強いのですが。

でもこうやって父と私の息子を見ると、確かにこのくらいの自分がいたんだなーって思うわけです。でないと息子も存在しないし。
ということはですよ。父からすると抱っこしていた私と私の息子とこのくらいの自分がいたんだなーって2人分感じることができるだろうから、それって嬉しいだろうし親孝行かもなと思うわけです。

陰を知らない桜の花びら

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 暖かくなって、過ごしやすい季節になりましたね。桜もキレイです。見上げると薄ピンク色に透けた花びらが広がっていたりして、それだけでもう、ふわふわふわわーーっと明るい気持ちにさせてくれます。夜はライトアップで桜を下から照らされたりしていますが、やっぱり昼間の太陽光が上から降り注いで花びらが透けて見えるのが好きです。桜の花びらはきっと陰を知らないんだろうなっていうぐらい明るく感じます。桜の枝や背後の建物なんかの陰とのコントラストもあってこそなのだとは思いますが。とにかく電車から桜の群れを通り過ぎていくのを見てるだけでも楽しいです。この見たときの一瞬の感じを写真にとってじっくり眺めてみたくなります。写真にしてみると、無限の諧調を持っていた景色は白く飛んだり黒くつぶれたりして色が固定されて、撮ったときとの感じとギャップが生まれます。別物になった目の前の光とかげは、当然、光もかげも自分の外側にあるもののはずですが、不思議と影は自分の内側に近いものとして感じられることがあります。なぜ?。光の代表である太陽が非常に遠くにあるものであってヒト自身は光を発しないからそう感じるのか。または視線が明るい方に向いていると、目が疲れるし、かげの方に目をやるほうが落ち着くので、その違いを自分の外側と内側として分けて感じているのかも知れません。そんなこんなで、撮ったときと写真を見たときの感じのギャップがコピーすることに対するモチベーションになっている気がします。
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お腹の赤ちゃんは何を見ているんだろう

 もうすぐ赤ちゃんが生まれます。大きくなったお腹や、エコーの画像を見せてもらうと、赤ちゃんが外に出てくる準備をしているのが分かります。でも、赤ちゃんがお腹の中で何を見聞きしたり感じたりしているのか、そしてこの時期の体験が生後どう影響するかは想像するしかないんですね。例えば胎教といって音楽をかけてみても赤ちゃんにどんな風に届いているのかわからないように。自分の忘れた記憶を辿ってみても何も出てきませんが、お腹の赤ちゃんの成長過程を見ていけば、たとえば初めて音を聞いたときのことや、光を感じたとき、ものを見たときのことを、思い描けたりするのかもしれません。
 安心マタニティブックという本には、お腹の中の赤ちゃんがどんな風に成長しているかが日ごとに説明が載っています。たった一つの細胞から出産予定日までの266日間の成長過程を辿っていくと、赤ちゃんの体験している世界を5億4千300万年前に生命で視覚を初めて獲得した三葉虫が感じたかもしれない「光だ!」っという感覚に繋げて考えたくなるぐらいすごいことが起こっている気がします。普通はやっぱり生まれてからが「ヒト」として見がちですが、実際にはその境界はヒトに都合のよい解釈で、最初の細胞分裂から完璧な順序で連続的に今の姿に変化しているんだなと思います。これは遺伝子にプログラムされていることがすごいのでしょうか。わかりませんが、赤ちゃんの成長のうち視覚や聴覚に関する部分を抜き出してみました。これが生命力なんですね。すごい。

はじめての妊娠・出産安心マタニティブック―お腹の赤ちゃんの成長が毎日わかる!

はじめての妊娠・出産安心マタニティブック―お腹の赤ちゃんの成長が毎日わかる!

○1ヶ月
0日目(2週と0日) 受精
1日目 初めての細胞分裂
4日目 妊娠を助けるグループと赤ちゃんそのものになるグループに分かれる(杯盤胞)。
7日目 絨毛が作られ細胞塊は1箇所につなぎとめる碇の役割を果たす。着床が完了すると赤ちゃん細胞は胎芽と呼ばれるようになる。
○2ヶ月
15日目 細胞に3層の組織、内胚葉、中胚葉、外胚葉ができてくる。目のレンズや、耳の内側と外側の膜、神経システムなんかは外肺葉から作られる。
18日目 赤ちゃんの頭からお尻の長さ(頭臀長)は、1〜1.5mmほどに。中枢神経系も作られ始める。
28日目 目のレンズに映ったものを伝達する視神経の発達が脳内で重点的に行われる。妊娠判定薬などで妊娠を確認できる時期。
30日目 目玉らしきものが入った眼窩ができてきます。
34日目 赤ちゃんの脳を二等分する分け目が現れます。赤ちゃんの重さは、わずか0.001gほど。この頃には外からさわられる刺激に対し、反応を示すようになります。神経系統と筋肉が互いに連絡を取っています。
36日目 目の網膜内で色素の形成がスタート。
○3ヶ月
43日目 反射作用がすでに備わっています。頭にふれると、赤ちゃんは逆の方向を向くようになります。内耳にはバランス感覚を司る三半規管が作られ始めます。
46日目 まぶたが現れます。
47日目 16〜18mm、約1gの大きさに。目の構造がかなり発達。でも見る力はまだ備わっておらず、その位置もウサギのように頭の横にあります。
50日目 目の網膜内の色素沈着が完成します。
60日目 これからの3日間で目の虹彩(黒目の中心にある瞳孔の外側にある薄い膜。)が発達します。さらにこの2日間でまぶたの発達が進み、赤ちゃんの目が閉じるようになります。
65日目 赤ちゃんの脳は出生時と同じ構造になります。
66日目 赤ちゃんに新たな反射神経が発達し、顔にふれると目を開くようになります。これはルーティング反射と呼ばれるもので、新生児がおっぱいを見つけるのに役立つものです。
○4ヶ月
86日目 赤ちゃんはさらに器用で機敏になります。例えば、頭の向きを変えたり、口を開けたり、唇をぎゅっと結んだりすることができます。体重がまだ50g強、身長約8.5cmしかない赤ちゃんにとってはすごいことです。
91日目 閉じたまぶたの下でゆっくりと目が動くようになります。
○5ヶ月
101日目 まばたき、飲み込み、吸い込みという、3つの反射神経による動きができつつあります。
○6ヶ月
138日目 目はまだ閉じていますが、この時期になると、まばたきのような動きをします。
140日目 中耳の骨が、音の伝導をよくするために固くなってきます。すでに胎児は音の情報を脳に伝えることが出来ますが、何の音であるかは判断することは出来ません。でも大きな音はびっくりする反射を引き起こすので、音の大小は脳内に記憶されます。この1〜2週で赤ちゃんは大きな音を聞くと、目をパチパチさせたり、ジャンプするようになります。
152日目 子宮の中の赤ちゃんが日常的に聞いている音には、ママの心音や声、ママの肺を空気が満たす音、息を吐く音、お腹や腸がなる音などがあります。ママの体から発せられる音を、ほとんど耳にしているのです。
○7ヶ月
164日目 これからの4日間で、視覚や聴覚に対して脳波が動き出します。現時点では赤ちゃんの目が光をとらえたり、耳が音を感知するといったことができます。でも、まだそれが何を意味しているのか理解することはできません。
172日目 この時期になると、脳波が出生時のそれと似たものになってきます。視覚と聴覚の情報を処理する脳波が働き始めます。
○8ヶ月
182日目 この時期の赤ちゃんは光や暗さに対し、とても敏感になっています。でもまだ物を認識することは出来ません。
186日目 これからの3日間で、光、音、味、においに対する感覚が敏感になります。皮膚をさわられたことがわかる触覚は、すでに出来上がっています。
188日目 赤ちゃんの眼球が動くようになります。胎児は見る練習をしています。赤ちゃんには子宮の内側はどのように見えているのでしょう?ママが洋服を着ていないときや、明るい日差しの中にいる時は、胎児の世界はピンク色をしています。暗い部屋の中にいるときは、胎児の視界も暗い状態です。お腹の赤ちゃんは光の強さの変化にも気付きます。でも、ピンク色を判断するには生後何ヶ月もかかります。出生時の赤ちゃんは、かろうじて赤、緑、黄色が判別できる程度です。
192日目 目が開いている時間が多くなり、赤ちゃんは見る練習をしています。
205日目 赤ちゃんの目は薄暗いときには開き、まぶしい明かりのときは閉じるというように、光の量に反応し始めます。これは反射行動のひとつで、瞳孔反射と呼ばれてます。
○9ヶ月
218日目 起きている時の赤ちゃんの目は開き、眠っているときは閉じるようになります。まだ目の色素沈着は完成していないので、いまは青色をしています。最終的な目の色素沈着が怒るためには、数週間、陽の光にさらされる必要があります。
赤ちゃんが視覚情報を伝達できるようになっているとしても、いま彼らが見ている世界がどのようなものをかイメージするのは難しいことです。焦点を絞る能力はまだ確立していません。
新生児の目は物の形、線、色などを覚えるので、最初に与えるオモチャは視覚的に刺激を与えるものがいいかもしれません。
○10ヶ月
241日目 この時期の赤ちゃんは、光の方向に自然に向くことができます。これは「オリエンティング・リスポンス(定位反応)」と呼ばれるもので赤ちゃんが世界に順応して行くために役立ちます。
266日目(40週と0日) 赤ちゃんの出産予定日です。ママの子宮にいる間、赤ちゃんの世界は水に包まれていました。水が流れる音は赤ちゃんを眠らせるのに役立ちます。赤ちゃんがなかなか寝付けない時に試して見ましょう。

白熱電球とはなんだったのか

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 「東芝ライテックは17日で、一般白熱電球の製造を終えた」というニュースを観て、そういえばどんなんだったかと思い、スタンドのセードを外してみました。そうそう、これです。薄暗い部屋でひときわ輝く、天井からよくぶら下がったりしていたあれです。近づくと温かくて、触ると熱い。背を向けると大きな影を落とし、遠ざかると暗すぎるがゆえに、絶妙な距離感を保ちながら部屋の中心を獲得してきました電球。セードをはずしてみるだけで、すぐに思い出したので、いつのまにか普遍的な光のイメージが出来ていたのでしょう。照らされていたことよりも、影で見えにくかったことのほうが容易に思い出せます。電球の形も太陽や月と同じくらい、馴染みのあるものと言ってもいいかもしれません。これほど、変わらなかったものも珍しいです。
 今のように多様化する光の中ではこうした普遍的なイメージを持つのは難しくなると思います。だからかは分かりませんが、この先、一般白熱電球を使わなくなることなんて想像することは無理です。白熱電球と同じものは他に無いからです。パソコンもレコードの代わりになってないし、デジカメもフィルムカメラの代わりになってないように。朝目覚める音楽は音量や元気のよさよりも音質が効いたり、写真のリアリティが鮮やかさや明るさよりも粒子感にあったりするように。新しいものと古いものをどう使い分けていくかというところに、豊かさが生まれる気がしました。
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もうすぐ4月ですね。

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 友人がドイツに引っ越すので本棚や引き出しなどをもらってきました。プロであるお父さんの手作りなのでとてもかっこいい。本棚って安ければなんでもいいと思っていましたが違いました。何を入れようか考えたくなるようなものがいいです。どうでもいい本棚にはどうでもいい本が溜まっていくような気がします。整理してもぱっとしないというか。。やっぱり一生使いたいと思えるものはいいです。そういうものを作る上で変化の中で何を留めておきたいかを明確にすることが大切な気がします。建築や哲学の本もたくさんもらってきたので読むのが楽しみです。
 展示会(見本市)に行くと、なかなか会えない人と偶然会えたりして面白いです。状況が異なるなかでお互いの考え方も離れていってたり、逆に意外と近かったりと気付かせてくれます。中には、もう辞めて次の道を進んでいることを残された製品を通じて知ることもあります。そうした情報交換の中で互いに何を理想としているか確かめ合うことが出来ます。
 「蟹と無重力」という岡澤さんのインスタレーションを観ました。蟹と無重力と聞いてもイメージが結び付かないというか、想像がつきませんでしたが、実際に見るとそれはとてもよい眺めで、意味は分からないもののイメージを膨らませるシンプルな手がかりがいくつかあって無重力的な何かを感じることは出来ました。普段ものを見る時にどの位置から見ているかということは、分かりきったことですが、ここではその手がかりの関係が崩れていて、遠くからも近くからも上からも正面からも混ざった、ある意味つじつまが合わないもどかしさがありながら、不思議と全体としては一つにまとまっているように見えて面白かったです。
 両親学級で沐浴の方法を教わりました。そのあとLDR(Labor:陣痛、Delivery:分娩、Recovery:回復室)を見せてもらいましたが、ここはホテルの客室みたいですね。新生児室の赤ちゃんは小さいけど1人前の顔してます。一仕事終えた後というか、静かだけど生命力に満ちている感じです。

新しい音楽の楽しみの懐かしさ

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 学生の頃、友人の部屋に遊びに行くと、たいていステレオの横にはCDラックがあって、その中からどこで手に入れたのか分からないようなのを聞かせてもらうと、それがスゴく良かったりして、同じレーベルのCDを街に探しに行くというのをよくやってました。部屋で一緒に聞く音楽というのは、静かで動きの無い部屋の風景も手伝って、音楽の存在感は浮くほどに大きく、ライブとかクラブ、車の中で一体となって盛り上がるのと全く異なる、時間の流れとしてよく覚えています。CDラックには昔ハマったものから最近気に入っているものなんかがいろいろ詰まっていて、眺めるだけでフォトアルバムのように楽しめるものでした。今となってはそれらの多くが聞かなくなってしまったものですが、それもまた別の楽しみ方で復活することを新しいツールは気付かせてくれます。
 働き始めて、一緒に音楽を聞く機会がなくなると、次第に音楽は一人で楽しむものになるもの。ミックスCDを作って送りつけるという手の込んだ遊びも楽しいのですが、技術の進歩は早いもので、今では驚いたことに手軽に遠く離れたパソコン同士でitunesライブラリを共有できるようになってたりするのです。この新しいデジタルのCDラックを整理しながら音楽でつながれることを再確認していると、再生して楽しむだけでは飽き足らず、音楽を作ったり演奏したり、特に手を動かして、手に覚えさせて音を操るのが、身体にも良かった楽しかったと気付かされるのです。おまえの音楽の原体験はそこじゃないだろ?と。とりあえず久々に楽器を出してきて練習してみるのでした。デジタルでは情報を共有するだけでそこには空間が欠けているのに、逆にその分離の便利さが生々しさを触発して、足りないものが見えてきて、動きたくなる。そういうふうにできてるんですね。将来的にはwebを通して演奏なんてのもタイムラグ無く簡単に出来るようになる、なんて時代が来てそれはどこかで懐かしさとリンクしていくのでしょうね。