私そのものである私の家

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 ギャラリー・間で卒業設計日本一展2008を見てきました。この作品を日本一にするのは、まずいのではないかということで日本二に選ばれたといわれる斧澤さんの「私、私の家、教会、または牢獄」という作品がとても面白かったです。その模型は部分的で全体像がつかめないものの、実際にコンクリートと木で出来ていて、細部の質感を感じられるものでした。それまで他の作品については模型で建物全体の外観を眺めてそれで満足して回っていたので、その得体の知れない存在感に出会った途端、焦りで頭の中が真っ白になりました。図面に小さな文字でびっしりと書きこまれた日記的なものや、何冊もある製作過程のスケッチブックなど、把握できない情報量の多さに圧倒されたのですが、木とコンクリートで出来たシンプルな住宅は、壁という壁が棚になっていて、なんでも置けて自由に使えるという親しみやすさもありました。
 ブースでは本人と話すことも出来たので、いくつかわからないことを聞いてみました。通路とそれが囲む箱など変わった形をどう決めていくのかについては、合理的に説明できないということで、変なことを聞いてしまった気がしましたが、「いつも最善の選択をしたいながらもそれが本当に最善か分からない中で、まず盲目的にこれを置く、と決めて他を決めていく」といった話を聞いて、合理的な理由ではなくとも自分で決めたという事実とか大事でそれを知るだけでも納得、安心できるものだなぁと思いました。
 「天井の照明取り付け口は用途を限定してしまう、それならコンセントのほうが電化製品なら何でもつかえていい」ということもそうで、実際、うちでもあの引っ掛けローゼットが天井にぽつんとあることで、ここにぴったり来るものを付けろと言われているようで、ある意味じゃまくさい。
 他人の家を見た時に本人の居ない部屋そのものがその人のアイコンとして印象に残ります。確かに「私の家が私そのものだ」と言えることっていいかもしれません。住みやすさの機能などが奪っていく何かについて考えてみたくなる展示でした。
 東京の展示は終わりましたが京都にも巡回するそうです。