これからのくらしとあかり

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 あかりを楽しんだ記憶といえば、飛行機の窓から見下ろす街の夜景や、九州行きのフェリーのデッキからふと満天の星空を見上げた時などが思い出せます。目の前に広がる光景が、何もしなくとも目を開くだけで、ただそこにある感覚。そことはどこなのか、暗闇の中で分からなくても自分から見て、ほら、そこにあると言えるような相対的なあり方。そこにはぼんやりとただ見入ってしまうような自由さや驚きがあります。
 一方、暮らしの中であかりのありかたを振り返ると、疲れているときなんかは特にそうですが、暗いときにスイッチを入れて明るくする以外のなにものでもないという、現状があったりします。あかりがものを見るためにあるなら当然それで問題ないわけですが、そこからあえて離れてみることで、見えてくることがある。それが自分にとってはあかりを楽しむとことかもしれません。
 あかりがないと何も見えないという当たり前のことをもっと広い目で見ていくと、目の前に見えているものに付随してくる陰影は、あかりによって作られているわけで、この様相をあかりとして楽しむことができます。
どこまでをあかりとして見るか、例えばあかりとそうでないものを分けるとしたら、まず、光っているものとそうでないものに分けられそうです。でも陰影もあかりとして捉えていくと、わずかな陰影をたどっていくことで闇以外の見えているもの全てがあかりになってくるかもしれません。それはそこにあるものの表面に刻まれた差異から意味をつかむのではなく、ただ、見て楽しめるもの。その分かりやすい端的な例が自分にとっては闇の中で輝く夜の光だったのかも。
 というようなことを読んだあとで考えさせられました。くらしにおけるあかりの役割について分かりやすく書かれています。あかりは実際にそこに身をおいてみないと分からないものですが、上手く言葉で表現されているので、経験を頼りにどんなあかりかをイメージしながら読むと面白いです。法則ごとにまとめられているので、これほどあかりが日常生活に密接にかかわりがあったのかと驚かされる一方、文化や伝統とは別のところで生まれてくる自分だけの楽しみ方を見つけたくなる一冊となっています。本屋さんにあまり置いてないのでアマゾンで買いました。

これからのくらしとあかり

これからのくらしとあかり