意識ってなんだ

 ブックオフで見つけた養老孟司の「唯脳論」を風呂で読んでいますがこれ面白いです。以前から、何かを見たり聞いたりするとき、物質的な光や音が目の前にあることは分かるとして、じゃあその時、頭の中では何が起きているのか、が気になっていたのですが結構納得できました。脳と心を構造と機能として関係を考えていくのだそうです(心が機能というのもなんか機械みたいで斬新ですが)。まず、心が取り出せない問題については、心臓という「物」を分解しても循環という「機能」が出てこないように、脳という「物」から「機能」である心が出てくるはずがなく、どちらも同じ「なにか」を違う見方で見ただけのことなんだとか。なるほど、確かに心はものではないですね。それから機能を知らない臓器とは逆に、脳はその機能についてかなりの部分を意識することができ、機能をあらかじめ知っているとあります。なるほど、意識を作っている別の裏方さんがいる気がしていたのですが、そんな誰かはいないのですね、意識がまさに機能ということか。心臓が何をやっているのかは直接意識できなくても脳の場合はそれが分かるってことなんですね。臓器のように構造から機能を調ていくのではなく、機能から構造を割り当てていくことになるのだそうです。脳の場合は。そして死んだら身体と魂が分離すると信じられている問題については、実際には死の定義が不明確であり解剖学的にも構造と機能の分離が生じるのではなく構造、機能ともに順次失われることから、あたかも分離して見えているだけのことであるとしていて、これもなるほどなぁと思いました。確かに脳はこういうものの見方をするよなぁと関心。
 この構造と機能を分けて見てしまうおかげで、どちらかを見落としてしまうことが多々ある気がします。例えばものづくりなどの仕事では、それがどんな風に見えるかといった機能としての見方は数値化出来ない部分もあって、構造に偏ったものの見方が先行することが多いです。どちらに偏ったとしても脳の産物ということにはなるのかも知れませんが、機能と構造とが分離しないバランスの取れた見方ができるようにしなくてはと思いました。構造に頼りきりにならない環境にしていかなくては。
 人工物や社会は脳が快を求める以上、これからも自然とはかけ離れていくのだろうとは思いますが、エコブームの最中、怯まずに自然に抵抗していくのか、この流れが逆になることがあるのかないのかわかりませんが、これから人は何を作っていくのか気になるところです。

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

唯脳論 (ちくま学芸文庫)