見るための光と感じるための光.

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 暑くなければ観光にでも出掛けたい。そんな時は部屋の模様替えです。ソファを別の部屋に移動して、テーブルは端に、スペースを確保。家具など場所をとるものは一箇所にまとめると、無駄がなくなりずいぶん機能的に。あとは夜が来るのを待って、あかりの置き場所を決めるだけ。でもこれがなかなか決まらない。昼は太陽光で満たされるのであかりはいらないとして、夜は光が無い状態から始められてしまうので決め手が無い。テーブルの上など食べたり読んだりするためのような、いわゆる「見る」ための光が必要なところは照らすものが決まっているので、特に困らないとして、問題はリラックスしたり、楽しんだり、ぼんやりと過ごしたりできる、「感じる」ための光。調光してみると、暗い場所での見え方が明るい場所のそれと全く違って面白い。色や明るさはもちろんのこと、体験自体、別の出来事になる。明るいときは視線周辺の狭い範囲でその時々の印象が決まるのに対して、暗くしていくと視点は定まらず、より視野全体で見ざるを得ない。満天の星空を見上げると視野全体が鮮明で輝くけど、どこを見ているともつかない時の感じに近い。夜という限られた時間の中でいろいろとやってみる。暗闇で体験する光は美術館などでもよく観るがどれも面白い。
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 例えばジェームズ・タレルのつくる光。ゆっくりと変化する知覚の変化に耳を澄まし、光と物体のあいだとも言える特殊なかたちが現れてくるのを静かに見守る。明るいところでは感じることの出来ない感覚が引き出される。奥行きが不確かで、見えているものが目の前にあるものとも、後ろにあるものとも感じられる。ひんやりとした広がりの感じられない暗がりの中で、遠くにあるものを見ようと、目の状態が変化するのを待っていると、見ること自体が、直接触れる手探りの感触に置き換わるのが分かる。外に出ると夏の日差しとのギャップに目を洗われるような清清しさを感じた。直島や新潟、金沢にあるけど、山と海が同時に楽しめるということで一番好きなのは直島。
 カールステン・ニコライの作品「フェーズ」では、暗闇に満たされた霧の中に映像が投影さている。光のあたる部分だけが、白い光の塊となってゆっくりと漂い、霧のオブジェとして暗闇の中に浮いている。鑑賞者が白い塊の中に入ると、霧の光に包まれた陰が出来、初めてそこに人が居ることに気づかされたりする。ここでは光というよりも霧のオブジェがそのまま見えるための条件としてある。良く覚えていないけどザーっといった感じの音楽も涼しくてよかった。