矢萩喜從郎「空間 建築 身体」

に出てきた障りの感覚を探すといろいろ出てくる。チャリを運転してて草むらに接触することはあっても壁に接触することはないのは壁のほうが痛いのを知っているから。車でトンネルを通る時は道路の真中よりも壁から離れた場所を通るほうが安全に感じる。プールがこわい子供は仮想境界面を体が超えないように守っているのかも。電車に飛び込む人はやさしいオレンジ色の電車を選ぶらしい。静かな夜の琵琶湖は歩けそうな気がした。車が後ろから近づいてきたときの不安感は音による障り。大きな交差点を斜め横断するときの感覚は記憶による障りかも。いろいろあるなぁ。子供のころ川に落ちないように境界でバランスをとったりしながら、仮想境界面を獲得していたのかもしれない。